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「市制60周年記念 古墳のまち天理」展にて2015‎年‎3‎月‎12‎日に撮影した写真と「天理の古墳100(古墳解説書)編集:天理市教育委員会」を基にして、天理の古墳や遺跡を扱っているブログです。訪問感謝^^。

2015年5月9日土曜日

石上銅鐸出土地(いそのかみどうたくしゅつどち)

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天理市石上町から明治16年と17年に2個の銅鐸(石上銅鐸)が発見される。[弥生時代中期の終わり頃] 2個の銅鐸は発見後、宮内庁の所蔵となり、現在は東京国立博物館に保管されている。2号銅鐸には「戈」と推定される棒状のものを持った人物が二人、描かれている。 リンク goo...

杣之内火葬墓(そまのうちかそうぼ)

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天理市杣之内(そまのうち)町杣之内浄水場南東約600mの丘陵上にある。[奈良時代 11.2m] 海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)1面が副葬されていた。 杣之内火葬墓 (そまのうちかそうぼ) パネル 杣之内火葬墓 (そまのうちかそうぼ) パネル ...
2015年5月8日金曜日

東大寺山古墳群の後期古墳(とうだいじやまこふんぐんのこうきこふん)

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天理市櫟本町東部の古墳群。[古墳時代 後期] 古墳時代前期の前方後円墳とされる東大寺山25・26号墳は現状保存されているが、その他の後期古墳は発掘調査後に消失し、横穴式石室3基と小石室2基のみシャープ株式会社の敷地内に移築保存されている。 リンク google 画像検...
2015年5月7日木曜日

東大寺山古墳群シギ山支群(とうだいじやまこふんぐんしぎやましぐん)

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天理市櫟本町に所在した古墳群。[古墳時代 後期後半] 標高119mの最高点から西に延びる尾根筋上に7基の古墳が築かれていた。古墳時代後期後半の築造と推定されている。古墳群は調査後に宅地となり現存しない。 東大寺山古墳群とシギ山支群の位置図(S=1/5000) 出典:天...

和爾下神社古墳(わにしたじんじゃこふん)

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天理市櫟本町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期後半 105m] 東大寺山古墳が立地する丘陵の西端に位置し、後円部には和爾下神社の社殿が建てられている。 出典:天理の古墳100 和爾下神社古墳 墳丘測量図(S=1:2,000) リンク...

櫟本墓山古墳(いちのもとはかやまこふん)

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天理市櫟本町に所在する前方後円墳。[古墳時代 後期前半 64m] 現在は墳丘全体が墓地として土地利用されている。 出典:天理の古墳100 櫟本墓山古墳 墳丘測量図(S=1:800) 墓地造成のため墳丘の形状は大きく改変されている。 リンク...
2015年5月6日水曜日

岩屋大塚古墳(いわやおおつかこふん)

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天理市岩屋町に所在する前方後円墳。[古墳時代 後期前半 76m] 形状は開墾などによりかなり改変され、墳丘の南半は名阪国道の建設によって失われている。 リンク google 画像検索 岩屋大塚古墳 参考サイト 天理市観光協会のHPへようこそ http://...

塚平古墳(つかひらこふん)

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天理市岩屋町に所在する方墳。[古墳時代 終末期 16m] 岩屋集落北側の尾根を登りつめた標高約320m付近に立地する方墳で、周辺の古墳のなかでは最高所に位置する。 「天理の古墳100」より引用。 塚平古墳  横穴式石室実測図(S=1:200) 奥壁の幅2.07m、...

ハミ塚古墳(はみづかこふん)

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天理市岩屋町に所在する方墳。[古墳時代 後期末~終末期 48.8m] 墳丘の南側や石室が道路で削られているが、現在はコンクリートで石室が表現されている。 調査地点位置図(S=1/5000) 出典:天理市埋蔵文化財調査概報 平成10・11・12年度(1998~200...
2015年5月5日火曜日

平尾山1・2号墳(ひらおやま1・2ごうふん)

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天理市石上(いそのかみ)町に所在した2基の円墳。[古墳時代 後期後半 1号墳:23m] 岩屋谷を見下ろす丘陵上に立地。現在は消滅。平尾山1号墳跡には天理市水道局の石上北低区配水池(タンク)がある。 出典:天理市埋蔵文化財調査概報 昭和61・62年度 1988 天理市...
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