2015年4月30日木曜日

馬口山古墳(ばぐちやまこふん)

天理市兵庫町、大和神社参道北側に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期前半 110m]
墳丘上から特殊器台型埴輪が採取されている。発掘調査が行われてないので詳細は不明。


リンク

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 馬口山古墳

google 画像検索 馬口山古墳


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・馬口山古墳
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/nanbu/bakutiyama_kofun.html
 (ばぐちやまこふん)
 上街道沿いに所在する古い前方後円墳

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
馬口山古墳(ばくちやま) 作成日時:2008/07/24 18:45
http://74589594.at.webry.info/200807/article_21.html


馬口山古墳 (ばぐちやまこふん):Googleマイマップ

2015年4月29日水曜日

空路宮山古墳(くうろくやまこふん)

天理市萱生町に所在する前方後円墳。[古墳時代 後期?40~50m]
菅原神社の拝殿の後ろが古墳の後円部でこれまでに発掘調査はおこなわれておらず詳しいことは不明。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
空路宮山古墳(くろくやま) 作成日時:2008/08/13 17:09
http://74589594.at.webry.info/200808/article_11.html


空路宮山古墳 (くうろくやまこふん):Googleマイマップ

西山塚古墳(にしやまづかこふん)

天理市萱生町に所在する前方後円墳。[古墳時代 後期 114m]
墳丘上から古墳時代後期前半の埴輪が採集されている。
西殿塚古墳に葬られているとされる手白香皇女の本当の陵墓であるとする説がある。


リンク

google 画像検索 西山塚古墳


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
西山塚古墳(にしやまづか)作成日時:2008/08/11 16:01
http://74589594.at.webry.info/200808/article_7.html
 継体天皇の后である手白香皇女陵説が有力な西山塚古墳


西山塚古墳 (にしやまづかこふん):Googleマイマップ

2015年4月28日火曜日

栗塚古墳(くりづかこふん)

天理市成願寺町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期?120m?]
現況は前方部ほとんど破壊され墳丘は果樹園となっている。発掘調査はおこなわれておらず、詳細は不明。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
(天理)栗塚古墳(くりつか) 作成日時:2011/10/22 11:01
http://74589594.at.webry.info/201110/article_5.html


栗塚古墳 (くりづかこふん):Googleマイマップ

フサギ塚古墳(ふさぎづかこふん)

天理市成願寺町に所在する前方後方墳。[古墳時代 前期?110m]
前方部の一部が発掘調査されたが築造時期を示す遺物などは出土せず詳細は不明。


リンク

google 画像検索 フサギ塚古墳


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
フサギ塚古墳(ふさぎづか) 作成日時:2011/10/18 09:35
http://74589594.at.webry.info/201110/article_3.html


フサギ塚古墳 (ふさぎづかこふん):Googleマイマップ

2015年4月27日月曜日

西ノ山古墳(にしのやまこふん)

天理市萱生(かよう)町に所在する円墳。[古墳時代 前期末~中期初頭?35m]
「西ノ塚古墳」と同一の古墳。下池山古墳のすぐ北側に隣接する。墳丘上および周辺は果樹園もしくは畑地となっている。

西ノ山古墳 調査区位置図
調査区位置図

出典:天理市埋蔵文化財発掘調査概要報告1990年度
三軒塚古墳、西ノ山古墳・成願寺遺跡、長寺遺跡(第4次)の調査
1991年 天理市教育委員会








「天理市埋蔵文化財発掘調査概要報告 1990年度
三軒塚古墳、西ノ山古墳・成願寺遺跡、長寺遺跡(第4次)の調査
1991年 天理市教育委員会」より一部抜粋:
「西ノ山古墳は、天理市萱生町に所在する径約35mの円墳である。奈良県遺跡地図第2分冊では11-B-150西ノ塚古墳とされている。現状では周囲に石垣が巡り、墳丘上および周辺は果樹園もしくは畑地となっている。…略… 遺物は須恵器、土師器の小片が茸石の隙間や覆土中から出土している。葺石検出部分の中央部に集中して出土しており、若干の混入遺物も含まれるが時期的には古墳時代中期末頃を主体としている。おそらくこの時期には墳丘の崩壊が始まったものと考えられる。…略…」


参考サイト

奈良の名所・古跡
行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966
西ノ塚古墳
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/b578bc448c60fd30882037a0fbacbba7


西ノ山古墳 (にしのやまこふん):Googleマイマップ

2015年4月26日日曜日

下池山古墳(しもいけやまこふん)

天理市成願寺町に所在する前方後方墳。[古墳時代 前期前半 125m]
平成7~8(1995~96)年に石室の調査がおこなわれ、長さ 6.8メートルの竪穴式石室が見つかった。内部からは木棺とともに鉄製品等が出土。


リンク

天理市
ホーム > 天理の魅力 > 観光・文化財・史跡 > 古墳 > 下池山古墳
下池山古墳
一部抜粋:…略…石室の北西側には小石室が発見され、その内部からは大形の内行花文鏡が見つかっています。古墳時代前期前半の古墳と思われます。平成26年10月6日、国史跡に指定されました。

google 画像検索 下池山古墳


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・下池山古墳
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/nanbu/simoikeyama_kofun.html
 (しもいけやまこふん)
 37cmの内行花文鏡が出土した古墳

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
下池山古墳(しもいけやま)国史跡 作成日時 : 2011/10/19 09:11
http://74589594.at.webry.info/201110/article_4.html


下池山古墳 (しもいけやまこふん):Googleマイマップ

平塚古墳(ひらつかこふん)

天理市成願寺町字平塚に所在する円墳。 [約54m]
墳頂部は後世に受けた削平の影響により、ほぼ平坦になっている。

明治時代の平塚古墳 大和國古墳墓取調書より
出典:天理市平塚古墳調査報告
天理大学歴史研究会

図2 明治時代の平塚古墳
(秋山日出男1985『大和國古墳墓取調書』より引用)
平塚古墳 墳丘測量図 (S=1/1600)
出典:天理市平塚古墳調査報告
天理大学歴史研究会

平塚古墳 墳丘測量図 (S=1/1600)













「天理市平塚古墳調査報告-天理大学歴史研究会」より引用。
…略… 墳丘北東に窪地が見られるが、これは「戦時中に防空壕を掘ったために出来たものだ」という話を、土地所有者の方から聞くことができた。墳丘の周囲には石が積まれ、南側には道が通っていることから、墳頂部だけでなく、古墳周囲にも削平の影響があったことを推測できる。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
平塚古墳(ひらつか)作成日時:2009/02/24 12:19
http://74589594.at.webry.info/200902/article_14.html

奈良の名所・古跡
行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966
平塚古墳
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/144f118c0f6674771d7ecaa72cdfe80c
 平坦な墳丘は柿畑です 撮影日;2012.11.12


平塚古墳 (ひらつかこふん):Googleマイマップ

2015年4月25日土曜日

燈籠山古墳(とうろうやまこふん)

天理市中山町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期前半 110m]
後円部が果樹園、前方部が墓地として利用され、地形は大きく改変されている。出土品、埴製枕(はにせいまくら)。


リンク

google 画像検索 燈籠山古墳


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
燈籠山古墳(とうろうやま)作成日時:2008/08/14 16:11
http://74589594.at.webry.info/200808/article_14.html


出土品

埴製枕(はにせいまくら)、明治29(1896)年に出土(重要文化財・藤田美術館蔵)

参考サイト

文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/index.php
埴製枕/奈良県天理市中山町燈籠塚古墳出土 はにせいまくら
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187542
 画像アリ

コトバンク
https://kotobank.jp/
コトバンク > 世界大百科事典 第2版  > 埴製枕とは
https://kotobank.jp/word/%E5%9F%B4%E8%A3%BD%E6%9E%95-1196256
はにせいまくら【埴製枕】
一部抜粋:
遺骸の頭部を安置するために特製した土製品。古墳時代に数例が知られており,それぞれ形態が相違する。奈良県天理市中山町灯籠山(とうろうやま)古墳例は,幅31cm,長さ29cmの低い箱形を呈し,底面は外湾する。上面に頭部をおくΩ形のくぼみを設け,外周を鋸歯文などで飾る。石枕(いしまくら)の形態に近く,4世紀に入る最古品である。…略…「世界大百科事典 第2版の解説」


燈籠山古墳 (とうろうやまこふん):Googleマイマップ

矢矧塚古墳(やはぎづかこふん)

天理市成願寺に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期?102m]
地形の改変が著しく本来の形状は不明。発掘調査はおこなわれていない。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
矢矧塚古墳 (やはぎづか) 作成日時:2008/09/12 17:46
http://74589594.at.webry.info/200809/article_11.html
一部抜粋:見学記
現状は後円部の一部が上ッ道で削られたうえ墳丘全体も大規模に削平され一面が果樹園となっています。…略…


矢矧塚古墳 (やはぎづかこふん):Googleマイマップ

2015年4月24日金曜日

中山大塚古墳(なかやまおおつかこふん)

天理市中山町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期前半 約130m]
山の辺の道沿いにあり、念仏寺の南東側に所在する。古墳の南端は大和神社の御旅所となっており、 大和稚宮(おおやまとわかみや)神社がある。


リンク

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 中山大塚古墳
中山大塚古墳
一部抜粋:中山町に所在する全長約130メートルの前方後円墳である。以前から特殊器台の破片が墳丘上から見つかり、古墳時代初期の古墳として注目されていました。…略…

google 画像検索 中山大塚古墳


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・中山大塚古墳
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/nanbu/nakayamaootuka_kofun.html
 (なかやまおおつかこふん)
 墳丘西側を山の辺の道(南)ルートが通る古墳

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
中山大塚古墳(なかやまおおつか)国史跡 作成日時:2008/07/26 15:44
http://74589594.at.webry.info/200807/article_24.html


中山大塚古墳 (なかやまおおつかこふん):Googleマイマップ

弁天塚古墳(べんてんづかこふん)

天理市岸田町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期?70m]
西側にJR桜井線、東側には新池がある。地形の改変が著しく本来の形状は不明。発掘調査はおこなわれていない。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
(天理)弁天塚古墳(べんてんづか) 作成日時:2008/09/19 17:37
http://74589594.at.webry.info/200809/article_14.html


弁天塚古墳(べんてんづかこふん):Googleマイマップ

小岳寺塚古墳(しょうがくじづかこふん)

天理市中山町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期?50m]
発掘調査を経ていない。東殿塚古墳、西殿塚古墳、燈籠山古墳、中山大塚古墳などと同じ尾根筋上に立地する。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
小岳寺塚古墳(しょうがくじづか)作成日時:2009/01/13 13:42
http://74589594.at.webry.info/200901/article_7.html


小岳寺塚古墳 (しょうがくじづかこふん):Googleマイマップ

2015年4月23日木曜日

柳本遺跡(やなぎもといせき)

天理市JR柳本駅の南方に広がる遺跡で、柳本古墳群造営の基盤集落域と考えられている。[古墳時代 前期]

柳本遺跡群における主要な調査地点位置図(S=1:20,000)
柳本遺跡群における主要な調査地点位置図(S=1:20,000)

柳本遺跡群道浦地点(図2-2)
柳本遺跡群竹ノ尻地点(図2-3)
柳本遺跡群ベベノ木地点(図2-4)
柳本遺跡群アンド山地点(図2-5)
柳本遺跡群四ノ坪地点(図2-6)
大ナカ田地点




出典:天理市埋蔵文化財調査概報
(平成9年度・国庫補助事業)
柳本遺跡群大ナカ田地点
1998 天理市教育委員会


柳本遺跡 (やなぎもといせき):Googleマイマップ

2015年4月22日水曜日

大和天神山古墳(やまとてんじんやまこふん)

天理市柳本町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期 103m]
墳丘の東側は道路建設により消失。行燈山古墳(あんどんやまこふん)崇神天皇陵の西側に位置する。


リンク

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 大和天神山古墳
大和天神山古墳
一部抜粋:柳本町に所在する全長約103メートルの前方後円墳です。墳丘の東側は道路建設により消失しています。道路建設に先立って1960年におこなわれた発掘調査では、長さ6.1メートルの竪穴式石室が発見されました。…略…

wiki 大和天神山古墳


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・天神山古墳
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/nanbu/tenzinyama_kofun.html
 (てんじんやまこふん)
 鏡や朱が埋葬された古墳

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
大和天神山古墳(やまとてんじんやま)県史跡 作成日時:2008/07/19 20:40
http://74589594.at.webry.info/200807/article_17.html
 銅鏡23面と朱が42㌔も納められていた大和天神山古墳

奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/index.html
収蔵品データベース
重要文化財 奈良県天神山古墳出土品 23面 ほか
http://www.narahaku.go.jp/collection/d-727-0-1.html


大和天神山古墳 (やまとてんじんやまこふん):Googleマイマップ

2015年4月21日火曜日

ノベラ古墳(のべらこふん)

天理市柳本町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期前半 約69m]
発掘調査がおこなわれておらず、出土品も伝わっていない。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
ノベラ古墳(のべら) 作成日時:2008/07/18 10:58
http://74589594.at.webry.info/200807/article_14.html


ノベラ古墳 (のべらこふん):Googleマイマップ

石名塚古墳(いしなづかこふん)

天理市柳本町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期前半 117~124m]


リンク

google 画像検索 石名塚古墳


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
石名塚古墳(いしなづか) 作成日時:2008/07/11 07:19
http://74589594.at.webry.info/200807/article_9.html


石名塚古墳 (いしなづかこふん):Googleマイマップ

2015年4月20日月曜日

ヲカタ塚古墳(をかたづかこふん)

天理市柳本(やなぎもと)町の龍王山麓に立地する古墳。[古墳時代 後期?約55m?]


参考サイト

天理大学
http://www.tenri-u.ac.jp/index.html
天理大学 | 歴史研究会、またまた、新たな発見!
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/dv457k000000670i.html
 一部抜粋:
2007年11月02日 【クラブ】
歴史研究会、またまた、新たな発見!
レーダー探査で確認
ヲカタ塚古墳の調査結果を発表する天理大学歴史研究会
「…略…天理市柳本町のヲカタ塚古墳(6世紀)について、従来は、全長55mで前方部は北東にのびる可能性も指摘されていたが、調査の結果、全長は130m以上の規模で、前方部は南西に末広がりにのびることが判明、また、前方後円墳である可能性が一層強まったという。…略…」


ヲカタ塚古墳 (をかたづかこふん):Googleマイマップ
古墳の形状は「天理の古墳100」を参考にしました。

上の山古墳(うえのやまこふん)

天理市渋谷(しぶたに)町に所在する前方後円墳。景行天皇陵の陪塚(ばいづか)い号。[古墳時代 前期後半 144m]

備考

陪塚:ばいちょう
陪冢とも書く。古墳の一種。大きな古墳のそばにあたかもそれに従うようにつくられている小さい古墳をさす。しかし,陪塚と呼ぶ場合には,規模,内容などの点で主体となる古墳となんらかの関係がなければならず,ただ位置が近いというだけでは判断できない場合もある。「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」

陪塚:ばいづか
規模の大きい古墳の周囲に、平面的にみると規則的に配置された形になって築かれている、規模のより小さい古墳。陪冢(ばいちょう)とも陪墳ともいう。陪塚を備えた古墳を主墳というが、前方後円墳が多く、方墳もある。「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」


リンク

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 上の山古墳
上の山古墳
渋谷町に所在する全長約144メートルの前方後円墳です。渋谷向山古墳[景行天皇陵]のすぐ北側にあり、景行天皇陵陪塚として宮内庁が管理しています。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
上の山古墳(うえのやま)景行天皇陵陪塚 作成日時:2008/11/28 17:20
http://74589594.at.webry.info/200811/article_12.html
一部抜粋:見学記   
宮内庁管理の陪塚であるが西側くびれ部付近に神社が鎮座しています。


上の山古墳 (うえのやまこふん):Googleマイマップ

2015年4月19日日曜日

シウロウ塚古墳(しうろうづかこふん)

天理市渋谷(しぶたに)町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期?120m]

「天理の古墳100」より引用。
「渋谷町にある古墳で、…略… 埋葬施設や副葬品に関する知見はこれまでに得られておらず、築造時期など詳細は未解明である。」


シウロウ塚古墳 (しうろうづかこふん):Googleマイマップ

柳本大塚古墳(やなぎもとおおつかこふん)

天理市柳本町に所在する前方後円墳。[古墳時代 前期前半 94m]

リンク

wiki 柳本大塚古墳

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 柳本大塚古墳
柳本大塚古墳
柳本町に所在する全長約94メートルの前方後円墳です。かつて開墾中に石室が露出し、大形内行花文鏡が出土しました。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
柳本大塚古墳(やなぎもとおおつか) 作成日時:2009/02/14 14:23
http://74589594.at.webry.info/200902/article_9.html
 国内最古級の幻の木棺発見!!


柳本大塚古墳 (やなぎもとおおつかこふん):Googleマイマップ

小半坊塚古墳(こはんぼうづかこふん)

奈良県天理市杣之内町に所在した前方後円墳。[古墳時代 前期 約85m?]

小半坊塚古墳の痕跡(上が北) 昭和21(1946)年に米軍が撮影
小半坊塚古墳の痕跡(上が北)
昭和21(1946)年に米軍が撮影した写真。塚穴山古墳の北東方に削平された前方後円墳の痕跡が認められる。
出典:天理の古墳100
小半坊塚古墳出土埴輪
小半坊塚古墳出土埴輪
上方に向かってすぼまる特異な形態の埴輪。
出典:天理の古墳100













「天理の古墳100」より引用。
「仙之内町に所在した前方後円墳である。昭和18(1943)年に海軍の運動場建設により破壊されたが、この際に簡素な調査がおこなわれた。出土したとされる円筒埴輪は口緑部と直下の突帯(とったい)が近接したもので、上方に向かってすぼまる特異な形状をしている。…略…」


リンク

wiki 杣之内古墳群
杣之内古墳群(そまのうちこふんぐん)は、奈良県天理市にある古墳群。石上神宮の南、山辺の道沿いに分布する。
一部抜粋:
小半坊塚古墳 - 西山古墳の北約200メートルのところにあった前方後円墳。全長92メートル、後円部直径52メートル、前方部を西に向けていた。西山古墳と同じく古墳時代前期の築造だが、第2次世界大戦中に消滅した。


小半坊塚古墳 (こはんぼうづかこふん):Googleマイマップ


2015年4月18日土曜日

笠神山古墳(かさかみやまこふん)

天理市仙之内町に所在する前方後円墳。杣之内古墳群。円筒埴輪や須恵器、桂甲(小札)などが採集されている。

笠神山古墳墳丘測量図(S=1:1,000)
笠神山古墳墳丘測量図(S=1:1,000)
後円部には横穴式石室が破壊されたことによるものとみられる痕跡がある。
出典:天理の古墳100









「天理の古墳100」より引用。
「仙之内町に所在する前方後円墳である。標高110m付近の丘陵上に築かれている。発掘調査は実施されていないが、平成2(1990)年に天理大学歴史研究会が墳丘測量調査をおこなった。また、円筒埴輪や須恵器、桂甲(小札)などが採集されている。」


リンク

wiki:桂甲(けいこう)
挂甲(けいこう)は、古代日本で用いられた鎧の形式のひとつ。
古墳時代の挂甲
鉄や革でできた小札(こざね)を縦横に紐で綴じ合わせて作成され、胴体の周囲を覆い前面や両脇で引き合わせて着用する。兜や肩鎧・膝鎧などのパーツが付属する。大陸の騎馬民族の鎧の影響が強くうかがえる。


笠神山古墳 (かさかみやまこふん):Googleマイマップ

2015年4月17日金曜日

西・東天井山古墳(にし・ひがしてんじょうやまこふん)

天理市杣之内(そまのうち)町に所在する円墳。東天井山古墳、西天井山古墳と並んでいる。杣之内古墳群。

東天井山古墳 南側から撮影
東天井山古墳を南側から撮影
(2015.4.16)
東・西天井山古墳 東側から撮影
東・西天井山古墳を東側から撮影
(2015.4.16)
東・西天井山古墳 北側から撮影
東・西天井山古墳を北側から撮影
(2015.4.16)
東・西天井山古墳を北側から撮影
東・西天井山古墳を北側から撮影
(2015.4.16)
東・西天井山古墳 西側の奈良県道51号天理環状線から撮影
東・西天井山古墳を西側の奈良県道51号天理環状線から撮影
(2015.4.16)








西天井山・東天井山古墳 墳丘測量図(S=1:1,500)
西天井山・東天井山古墳 墳丘測量図(S=1:1,500)
尾根筋上に2基の円墳が近接して築かれている。
出典:天理の古墳100






「天理の古墳100」より引用。
一部抜粋:
「…発掘調査は実施されていないが、昭和52(1977)年に天理大学歴史研究会が墳丘測量調査をおこなった。西天井山古墳は直径28mの円墳で、墳丘には埴輪片が散布している。東天井山古墳は直径37mの円墳で、墳丘斜面に葺石が露出するほか、円筒埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪などが採集されている。…略…」


参考サイト

ファイル:杣之内古墳群-L.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%9D%A3%E4%B9%8B%E5%86%85%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4-L.jpg#filelinks
杣之内古墳群(奈良県天理市)の分布図
東天井山古墳の位置は、天理大学歴史研究会の資料にしたがった。『大和の古墳』では150mほど北東にある丘陵に示されている。

奈良の名所・古跡
行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966
東・西天井山古墳・須川山古墳
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/1997564aa66476765c6d591c55ccbe3d

天理大学歴史研究会
http://tenrirekiken.web.fc2.com/
杣之内そまのうち古墳群
http://tenrirekiken.web.fc2.com/cho/p12.html


東・西天井山古墳:Googleマイマップ

2015年4月16日木曜日

保昌塚古墳(ほしょうづかこふん)

奈良県天理市杣之内(そまのうち)町に所在するお椀を伏せたような小さな古墳。北東方向に峯塚古墳がある。杣之内古墳群。

保昌塚古墳 西側から撮影 (2015.4.16)
保昌塚古墳を西側から撮影
(2015.4.16)
保昌塚古墳 西側から撮影 (2015.4.16)
保昌塚古墳を西側から撮影
(2015.4.16)
保昌塚古墳 北西側から撮影 (2015.4.16)
保昌塚古墳を北西側から撮影
(2015.4.16)
保昌塚古墳 北側から撮影 (2015.4.16)
保昌塚古墳を北側から撮影
(2015.4.16)












リンク

google 画像検索 保昌塚古墳


参考サイト

天理大学歴史研究会
http://tenrirekiken.web.fc2.com/
保昌塚古墳
http://tenrirekiken.web.fc2.com/cho/p13.html

奈良の名所・古跡
行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966
保昌塚古墳
http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/956f2c57199941db44faff9e23d13a15


保昌塚古墳 (ほしょうづかこふん):Googleマイマップ

2015年4月15日水曜日

竜王山古墳群(りゅうおうざんこふんぐん)

天理市柳本町・渋谷町に所在する。龍王山西麓、西門川沿いの谷に展開する古墳群。横穴式石室を埋葬主体とする円墳と墳丘を持たない横穴墓(おうけつぼ)が600基以上分布する。

龍王山古墳群の分布 出典:天理の古墳100
龍王山古墳群の分布
図中に緑色の点で表しているのが墳丘のある古墳。同一域内には墳丘を持たない横穴墓も300基程度確認されている。古墳と横穴墓が共存していることも本古墳群の特色としてあげられる。
出典:天理の古墳100
龍王山古墳群の調査 墳丘をもたない横穴墓
龍王山古墳群の調査
写真はE地区の墳丘をもたない横穴墓。
出典:天理の古墳100









「天理の古墳100」より引用。
「龍王山古墳群は龍王山西麓の谷(西門川)沿いに展開する古墳群である。横穴式石室を埋葬主体とする円墳と墳丘を持たない横穴墓(おうけつぼ)が合計600基以上分布しており(1,000基以上という説もある)、古墳時代後期から終末期にかけて造営された県内最大規模の後期群集填である。昭和59~60(1984~85)年度に西門川の砂防事業に伴って奈良県立橿原考古学研究所が調査をおこない、60基程度の古墳について埋葬施設の記録が作成された。…略…」


リンク

google 画像検索 竜王山古墳群


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
竜王山古墳群(りゅうおうざん) 作成日時:2008/08/14 10:40
http://74589594.at.webry.info/200808/article_13.html
一部抜粋:
崇神陵と景行陵の間から竜王山に至る谷筋に沿ってある我が国最大級の群集墳。約600基が確認されているが埋没古墳も多く1000基以上の可能性も・・。

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・龍王山古墳群
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/nanbu/ryuuouzan_kofungun.html
 県下で最大級の群集墳
龍王山の西側山麓、標高150~450mの高さに点在しています。杉林となっている所が多く、1、2m程盛り上がった場所が古墳です。

近畿日本鉄道
http://www.kintetsu.co.jp/
近鉄てくてくまっぷ(奈良-12) 龍王山展望コース 約10km
http://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/teku-nara12.html
一部抜粋:
龍王山へは、緩傾斜で距離が長い南回りルートと短距離だが急坂の北側ルートで、本コースは南から登って北側へ下る。行橙山古墳(崇神陵)の東側を回り込んで谷筋に入り、龍王山古墳群、南北龍王山城跡を巡る。
「てくてくまっぷ」PDFファイルがダウンロードできます。


竜王山古墳群 (りゅうおうざんこふんぐん):Googleマイマップ

石上・豊田古墳群(いそのかみ・とよだこふんぐん)

天理市石上町・別所町・豊田町・岩屋町付近、豊田山丘陵、平尾山丘陵に広がる古墳群。

石上・豊田古墳群の分布 出典:天理の古墳100
石上・豊田古墳群の分布

古墳群のうち中型の円墳はほぼ丘陵の屋根上に築かれているのに対し、小型の円墳は尾根の端部に密集するという達いがある。

出典:天理の古墳100










「天理の古墳100」より引用。
「石上・豊田古墳群はいわゆる豊田山丘陵に立地する古墳群である。2基の大型前方後円墳(ウワナリ塚古墳・石上大塚古墳)のほか200基ほどの円墳が群集している。…略… これまでに、岩屋谷以北では西山1・2号墳、岩屋大塚古墳、ハミ塚古墳の発掘調査が実施されている。岩屋谷以南では平尾山1・2号墳、アミダヒラ支群、狐ケ尾支群、ホリノヲ支群、石峰支群、石上北支群、タキハラ支群の調査がおこなわれている。…略… 石上・豊田古墳群では鍛冶に関わる遺物が出土する古墳が目立つ。石峰南2号墳から鞴羽口(ふいごはぐち)と鉄滓(てっさい)、石上北A5号墳、石上B3号墳、タキハラ3号墳から鉄滓、ホリノヲ2号墳から鉄鉗・金槌が出土している。石上・豊田古墳群の成立には布留遺跡の工人集団が密接に関わったと考えられている。」

めも:
鉄鉗:カナバシ、カナハシ
 鍛冶に使う鉄材を挟む道具。別名 金箸、かなばさみ
鉄滓(てっさい):テツクズ、スラッグ、ノロ
 製鉄のさいの残りかす。

ブログ内リンク:
狐ヶ尾8,9号墳(きつねがお8,9ごうふん)
ウワナリ塚古墳(うわなりづかこふん)


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・石上豊田古墳群
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/hokubu/isonokami_toyoda_kofungun.html
 (いそのかみ・とよだこふんぐん)
 物部氏の奥津城


石上・豊田古墳群 (いそのかみ・とよだこふんぐん):Googleマイマップ

2015年4月14日火曜日

御墓山古墳(おおばかやまこふん)

天理市上総(かんさ)町に所在する前方後円墳。周濠からは埴輪や須恵器、大型鳥形木製品、大刀形木製品、石見(いわみ)型木製品、笠形木製品、翳(さしば)形木製品が出土。

御墓山古墳 北側、上総池の土手から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を北側、上総池の土手から撮影
(2015.4.12)
御墓山古墳 北東から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を北東から撮影
(2015.4.12)
御墓山古墳 北西から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を北西から撮影
(2015.4.12)
御墓山古墳 西から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を西から撮影
(2015.4.12)
御墓山古墳 西から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を西から撮影
(2015.4.12)
御墓山古墳 南から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を南から撮影
(2015.4.12)
御墓山古墳 南から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を南から撮影
(2015.4.12)
御基山古墳 墳丘測量図(S=1:1,000)
御基山古墳 墳丘測量図(S=1:1,000)
墳丘は現状では2段になっているが、これが本来の姿をとどめたものかどうかは明らかになっていない。
出典:天理の古墳100
御基山古墳 石見型木製品 儀杖(ぎじょう)を表現したと言われる木製品
御基山古墳 石見型木製品
儀杖(ぎじょう)を表現したと言われる木製品。市内では小墓古墳でも出土例がある。
出典:天理の古墳100
木製品出土状況 御墓山古墳
木製品出土状況
出典:天理市埋蔵文化財調査槻報
平成4・5年度(1992・1993年)
1996 天理市教育委員会
墳丘上の石塔 御墓山古墳
墳丘上の石塔
出典:天理市埋蔵文化財調査槻報
平成4・5年度(1992・1993年)
1996 天理市教育委員会
御墓山古墳 北から撮影 (2015.4.12)
御墓山古墳を北から撮影(2015.4.12)
画面中央の柵に囲われた藪の中に石塔が残されているようです。(未確認)









「天理の古墳100」より引用。
「上総町に所在する前方後円墳である。王墓山古墳と表記されることもある。周辺には平坦な地形が広がり、近隣に他の古墳はみられない。この古墳は江戸時代に陵墓調査が実施された際に、一時的に景行天皇陵に比定されたこともある。平成5(1993)年度に天理市教育委員会が墳丘東側で発掘調査をおこなった。この調査では後円部東側から前方部東側にかけて周濠を連続的に検出した。調査成果を踏まえて墳丘規模を復元すると、全長約74m、前方部幅約50mとなる。東側くびれ部には造り出しが取り付いている。…略……」


リンク

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 御墓山古墳
御墓山古墳
上総町に所在する全長約74メートルの前方後円墳です。


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
御墓山古墳(おおばかやま)作成日時:2012/12/04 14:02
http://74589594.at.webry.info/201212/article_2.html


御墓山古墳 (おおばかやまこふん):Googleマイマップ

2015年4月13日月曜日

別所大塚古墳(べっしょおおつかこふん)

天理市別所町に所在する前方後円墳。石上(いそのかみ)・豊田古墳群。

斬池 別所大塚古墳 南西から撮影
斬池と別所大塚古墳。
南西から撮影(2015.4.12)
別所大塚古墳 南から撮影 (2015.4.12)
別所大塚古墳。
フェンスのある所は斬池の土手。
南から撮影(2015.4.12)
別所大塚古墳 斬池と大池の間の道へ出る手前 南東から撮影
画面奥の竹林が別所大塚古墳、斬池と大池の間の道へ出る手前。
南東から撮影(2015.4.12)
斬池 別所大塚古墳 斬池と大池の間の土手の道 東から撮影
斬池と別所大塚古墳。斬池と大池の間の土手の道。
東から撮影(2015.4.12)
斬池 別所大塚古墳 東から撮影 (2015.4.12)
斬池と別所大塚古墳。
東から撮影(2015.4.12)
別所大塚古墳 左は大池 北東から撮影 (2015.4.12)
別所大塚古墳。 左は大池。
北東から撮影(2015.4.12)
斬池 別所大塚古墳 南から撮影 (2015.4.12)
斬池と別所大塚古墳。
南から撮影(2015.4.12)
別所大塚古墳 墳丘測量図(S=1:1,500)
別所大塚古墳 墳丘測量図(S=1:1,500)
後円部に南向きに開く掘削跡があり、横穴式石室の跡とされる。
出典:天理の古墳100
空からみた別所大塚古墳(北から)
空からみた別所大塚古墳(北から)
墳丘の北側(画面下側)には周濠と外堤がよく残っている。
出典:天理の古墳100








「天理の古墳100」より引用。
「別所町集落の東北側に位置する全長約125mの前方後円墳である。…略… これまでに発掘調査はおこなわれていないが、明治26(1893)年に作成された『大和國古墳墓取調書』によると、「五尺四方斗(ばかり)ノ石棺ヲ出シ」とされている。石室が破壊されたことがうかがえるほか、多数の副葬品が出土したことも伝えられている。…略……」


リンク

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 別所大塚古墳
別所大塚古墳
別所町に所在する全長約125メートルの前方後円墳で、古墳の北側半分のみ周濠を築いています。

google 画像検索 別所大塚古墳


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・別所大塚古墳
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/hokubu/bessyoootuka_kofun.html
 古墳時代後期後半の前方後円墳

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
別所大塚古墳(べっしょおおつか)作成日時:2008/10/20 19:49
http://74589594.at.webry.info/200810/article_11.html


別所大塚古墳 (べっしょおおつかこふん):Googleマイマップ

2015年4月12日日曜日

櫟本高塚遺跡(いちのもとたかつかいせき)

天理市櫟本(いちのもと)町に所在する遺跡。一部が保存され櫟本高塚公園として整備されている。

「天理の古墳100」より引用。
「東大寺山丘陵の北側斜面に所在する遺跡である。昭和57(1982)年に天理市教育委員会と埋蔵文化財天理教調査団が実施した発掘調査で、丘陵斜面を切り閲いた平坦地が見つかった。…略… 平坦面が祭祀(さいし)場で、掘立柱建物を中心として高杯を用いた祭祀がおこなわれていたと考えられている。現在は一部が保存され遺跡公園として活用されている。」

空からみた 櫟本高塀遺跡(北から) 出典:天理の古墳100
空からみた櫟本高塀遺跡(北から)
出典:天理の古墳100

::さいし【祭祀】神々や祖先などをまつること。祭典。祭儀。まつり。
櫟本高塚遺跡 調査区平面図(縮尺:400分の1)
調査区平面図(縮尺:400分の1)

出典:天理市埋蔵文化財調査概報
昭和61・62年度
1988 天理市教育委員会
櫟本高塀遺跡 (第2次) 1号墳全景(南方から)
櫟本高塀遺跡(第2次)
1号墳全景(南方から)

出典:天理市埋蔵文化財調査概報
昭和61・62年度
1988 天理市教育委員会
櫟本高塚遺跡 1号墳全景(西方から)
1号墳全景(西方から)

出典:天理市埋蔵文化財調査概報
昭和61・62年度
1988 天理市教育委員会









リンク

天理市
ホーム > 施設のご案内 > 都市公園 > 都市計画公園 櫟本高塚公園
櫟本高塚公園(いちのもとたかつかこうえん)
櫟本高塚公園は、古代の豪族和邇(わに)氏にまつわるとされる、櫟本高塚遺跡を保存し、周辺一帯を公園として活用するために整備されました。


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・櫟本高塚公園
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/hokubu/ichinomoto_takatuka.html
「ワニ氏の祭祀場跡」
一部抜粋:
「…略…昭和57年に行われた発掘調査で、6世紀後半(古墳時代後期)に山の中腹を切り開いて造った、広い平坦地が見つかりました。上方の斜面には竪穴住居が2棟、平坦地の中央北寄りには特殊な建物が1棟、平坦面の南東側には斜面を掘り込んで造成した方形の檀と柱列がありました。さらに、特殊な建物の北側斜面では高杯(供物を載せる土器)の破片が、散乱した状態で多数、見つかりました。…略…」


櫟本高塚遺跡 (いちのもとたかつかいせき):Googleマイマップ

2015年4月11日土曜日

和爾小倉谷古墳群(わにおぐらだにこふんぐん)

天理市和爾町小倉谷、白川溜池のダムの北側の古墳群。3基の横穴式石室が元の位置から北西へ約120mの古墳公園に移築保存されている。

「天理の古墳100」より引用。
「白川溜池のダム工事に伴って平成3(1991)年に奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査をおこなった古墳群で、3基の古墳から横穴式石室が見つかった。…略…見つかった横穴式石室は現在は白川溜池北側の古墳公園内に移築保存されている。」

和爾小倉谷古墳群  移築された横穴式石室
和爾小倉谷古墳群
 移築された横穴式石室
 出典:天理の古墳100












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google 画像検索 和爾小倉谷古墳群


参考サイト

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
和爾小倉谷古墳群(わにおぐらだに) 作成日時:2009/01/09 16:48
http://74589594.at.webry.info/200901/article_4.html

ええ古都なら
http://www.nantokanko.jp/index.html
白川ダム(しらかわだむ)
http://www.nantokanko.jp/mytown2011062.html
一部抜粋:……万葉の森と名付けられた緑地もあり、市民の憩いの場となっている。大和青垣国定公園の緑のなかには古墳も数多く存在。白川ダム建設工事の際にも和爾小倉谷古墳群が発見され、1、2、3号墳から石室が見つかった。これらは移築されて、古墳公園として整備されている。…略…


和爾小倉谷古墳群 (わにおぐらだにこふんぐん):Googleマイマップ

2015年4月10日金曜日

和爾古墳群(わにこふんぐん)

天理市和爾町で発掘された、約500基と推定される大古墳群。

「天理の古墳100」より引用。
「…略…平成16(2004)年に奈良県立橿原考古学研究所がおこなった発掘調査では、水田下から直径15m前後の古墳が多数発見された。…略…未調査地を含めると全体で350~500基を数える群集墳と想定され、龍王山古墳群や石上・豊田古墳群につづく大規模な群集填であることがわかった。」
和爾古墳群の分布(S=1:5,000)
和爾古墳群の分布(S=1:5,000)

圃場整備事業に伴う発掘調査では水田下に埋没した古墳が多数検出された。

 出典:天理の古墳100











和爾古墳群 (わにこふんぐん):Googleマイマップ

2015年4月9日木曜日

上殿古墳(うえどのこふん)

天理市和爾町に所在した円墳。短甲や銅鏃などの武器・武具、鉄製の柄付手斧などの鉄製工具、鍬形石をはじめとする腕輪形石製品が多数副葬されていた。

「天理の古墳100」より引用。
「和爾町に所在した円墳である。昭和34(1959)年に土砂採取により破壊されることとなり、奈良県教育委員会により発掘調査が実施された。墳頂部の平坦面の縁辺には円筒埴輪が立てられていた。中央には家形埴輪を置き、底部に穴を聞けた壺形土器で囲んだ区画の下に、長方形の粘土槨が作られていた。……略……」

上殿古墳 墳丘測量図
上殿古墳 墳丘測量図(S=1:500)
粘土槨は長さ6.7m。棺外に置かれた副葬品は良好に残っていた。平成15(2003)年度の再調査で直径30mの円墳と判明。

出典:天理の古墳100
上殿古墳 銅鏃
上殿古墳 銅鏃

出典:天理の古墳100











銅鏃(どうぞく)
青銅製の鏃(やじり)。日本では弥生時代から古墳時代前半にかけて使用された。
 (デジタル大辞泉の解説)


参考サイト

奈良県立橿原考古学研究所【発掘情報】
http://www.kashikoken.jp/from-site/
和爾遺跡第14・15次調査 現地見学会資料(2002年9月23日)
http://www.kashikoken.jp/from-site/2002/wani1.html
 遺跡周辺地図
 …略…12.栗塚遺跡 13.上殿古墳 14.野田古墳…略…


上殿古墳 (うえどのこふん):Googleマイマップ

2015年4月8日水曜日

東大寺山古墳(とうだいじやまこふん)

天理市櫟本町に所在する前方後円墳。副葬品の中に、24文字を金象嵌で表し、「中平」の紀年銘を持つ鉄刀があった。金象嵌銘花形飾環頭大刀(重要文化財)。

東大寺山古墳 墳丘測量図(S=1:2,000)
東大寺山古墳 墳丘測量図(S=1:2,000)
出典:天理の古墳100















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wiki 東大寺山古墳 (とうだいじやまこふん)

google 画像検索 東大寺山古墳

天理市
ホーム > 各課のご案内 > 教育委員会 > 文化財課 > 古墳 > 東大寺山古墳
東大寺山古墳
櫟本町に所在する全長約140メートルの前方後円墳、現在は竹藪におおわれている。


参考サイト

天理市観光協会のHPへようこそ
http://kanko-tenri.jp/
案内スポット・東大寺山古墳 (とうだいじやまこふん)
http://kanko-tenri.jp/kanko_guidance/hokubu/toudaiziyama_kofun.html
 中国の年号銘を象嵌した大刀が出土した古墳

大和の古墳探索
http://74589594.at.webry.info/
東大寺山古墳(とうだいじやま)作成日時 : 2010/10/08 10:42
http://74589594.at.webry.info/201010/article_2.html
 出土した鉄刀に年号が刻まれていた事で有名な東大寺山古墳

Don Pancho
http://www.bell.jp/pancho/
橿原日記 平成23年07月02日
東大寺山古墳の紀年銘鉄刀が語る卑弥呼の共立
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-5/2011_07_02.htm
 東博の平成館企画展示室で特別展示されている東大寺山古墳出土の紀年銘鉄刀

東京国立博物館 - トーハク
http://www.tnm.jp/
東大寺山古墳の銘文大刀
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=358
 平成館 考古展示室   2005年7月20日(水) ~ 2005年9月19日(月)
 重要文化財 金錯銘花形飾環頭大刀(部分)


東大寺山古墳 (とうだいじやまこふん):Googleマイマップ